
|
||
伸宜は少年のころから母の厨房を手伝っていた。 そして料理好きが高じ、その道へ進んだ。 しかし、なったのは和食の料理人であった。 そして、高級ホテルやドイツの和食レストランなどで存分に腕をふるった後、地元の札幌に戻って寿司店を開業していた。母のたっての願いで、伸宜はラーメン職人に身を投じる。 それが平成元年。場所は母が最初に店を出した中の島だった。 こうしてすみれは創業の地で再び歴史を重ねる。 平成6年、新横浜ラーメン博物館から出店のアプローチが来る。 伸宜は母以外の親族の猛反対の中、半ば勘当される形で出店。 それは「すみれ」の暖簾を背負った大きな賭けだった。 苦労のかいあって新横浜の店は順調に客足をのばし、元から定評のあった札幌の店も大きくなった。 平成14年12月にはすみれビルも完成。 その後も、平成15年10月キャナルシティ博多・ラーメンスタジアムに出店(平成16年3/31まで営業)、平成16年4月には路面店も出店するなど「すみれ」の味が全国に広がっている。 残念ながら新横浜ラーメン博物館の「すみれ」は平成16年10月末閉店したが、東京に新しい路面店がオープンすることもあるかもしれない。 そしてできるだけ多くのお客様においしいラーメンを食べていただけるよう、すみれは今でも日々努力を重ね、新しい歴史をつくっている。 |
||
昭和39年8月、村中明子は札幌の中の島にラーメン屋を開いた。屋号は「純連」と書いて「すみれ」。